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Mentor’s Message

恩師からのメッセージ

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Dr. Gordon Sato(Member of National Academy of Science)

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  1. 米国での我が恩師(Mentor)Dr. Gordon H. Satoには“International Escaology”の最高サイエンスアドバイザーとしての参画頂いておりました。米国科学アカデミー会員であるGordon先生は、常々「Young Researcher and People」を基本的スタンスとして、これまでに優秀な研究者を育ててこられ、また人々と接してきておられます。また、Good Business Based on Good Researchの発想で研究者に研究資金が還元される仕組みのバイオベンチャーを幾つか立ち上げられておられます。その一つであるUpstate Biotech. Inc., Lake Placid(UBI)では大変お世話になりました。以下は先生の偉大さの一端です。

  2. Rolex賞(2002年)、Blue Planet賞(2005年)の受賞:受賞対象の根幹は共に「世界で最も貧困な国であるエリトリアで持続可能なLowテクによる食料供給システムを具体化した」ことにある。キーワードはsustainable autonomy factorと sustainable economies by planting mangrovesで、現在も活躍中である。Blue Planet賞は生態環境分野のノーベル賞とも言われており、「食」との関係において極めて意義深いものである。詳細はManzanar Project(http://themanzanarproject.com/)にアクセス下さい。なお、Manzanar(マンザナール)は第二次大戦中に日系アメリカ人が強制収容された収容所の一つ。

  3. 細胞生物学での業績:先生は哺乳類細胞の分子生物学的理解を志し、いくつかの重要な細胞株を樹立された。さらに、今日の成長因子研究に欠くことができない無血清培養法を確立された、現代細胞生物学のパイオニアの一人である。この偉業がなければ、京大山中教授のiPS 細胞も実現しなかったであろうと言える。

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大阪大学名誉教授・堀尾武一先生

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大阪大学蛋白質研究所時代、長浜生物化学研究所時代を通じての恩師です。実験科学を指導して頂いた折の名言などをまとめております。大阪弁ですので、読みづらい点はご容赦下さい。残念なことに2003年3月22日に75歳で亡くなられました。

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  1. 「サイエンスはな、雄志君」から始まっての一言が沢山ありました。

  2. 大阪大学理学部大学院(1970年終了)

  3. 実験はArtifactの塊や、そのなかから何が起こっているかを見極めなあかん。

  4. そらなー、Positive Dataがえーけどな、チャンとしたNegative Dataも大事やで。


  5. 365日Positive Dataやったら、ノーベル賞何個でも取れるで。


  6. Negative Dataは(作業仮説として)進んではいけない方向を示してる。もしそれがエー加減やったら、どこに向かっていくか、360度そこらじゅ―にあって、身もお金も持たん。


  7. (ある酵素の反応で)スポット(点)は実験データや、そのスポットを見てどのような線を引くか、それは実験者の意見/想い(次の実験のための考え)や。その線にDiscussionの余地があるときは、線を実証する実験をセナあかん。


  8. 以下に、先生の思い出の短文を雑誌「臨床化学」に投稿した折の原稿を転記します。


  • 何で堀尾研に入った?テニス,スキー,野球,海水浴...よう遊べるやんか.こんな研究室他にあるか? 1964年頃の話.

  • Wine Redのコデュロイのブレザー.かっこよかった.それに,Winston(最後まで愛煙しておられた銘柄)とロンソンのライター.

  • 論文読んでいたら.「自分で論文書くまでヒトの論文読まんでえー.自分で論文書いて初めて『嘘』が分かる.新聞読むな.物まねしかでけへん」.

  • アメリカのかの有名なPlayboy 雑誌が持ち込み輸入されていた(1965年頃から).英語の勉強にもなりました.


  • Playboyのトレードマークの,あのバニー柄のスキーセーター,そしてHeadのメタルスキー,大変お似合いでした.


  • スキー合宿のときのこと,「今更プロになれるわけでもないねんから,好きなことくらい自分の好きなようにやれや(スキー学校なんか入らないで)」.


  • 「何に我(が)をはるか.決めとかな.何から何まで全部には張られへんで」.


  • 米国からお客さん.「誰か一緒にメシ付き合えヤ」.ラボ内はしーん.雄志君「付き合えヤ」(ラボの者は全員First Nameで呼ばれていました).次の日,先輩から「英語しゃべりながらメシ食ったり,新地(飲み屋街)行ってもおもろないやろ」.メシ代助かって,酒も飲めた.

  • 新地にて.「H大学 (阪大) エロフェッサー (Professor) のH (Horio) です.朝○○は尿意と関係ない.AIDS,何で女性から男性に感染する? キズやで」.

  • 「あんたらアホにならナ」.堀尾研に遊びにきた東大院生(修士2年)への第一声.

  • 堀尾武一先生同門会の一哲会.一は武一の一,Scienceは一番でないと意味ない,の一.哲はPhilosophy.「ScienceはPhilosophyや.アホ一徹でえーやないか」. Ph.D.はDoctor of Philosophy in (Biochemistry).

  • 「休肝日? 折角,酵素Inductionしたのにそんなことしたら元の木阿弥や」.先生は苦労して(奥貫阪大名誉教授から「サケ飲まないと学位やらん」と言われて長年かけて)アルコール代謝酵素を誘導されました.

  • 先生のHPのごく一部から.①少子化?日本の自給率から考えたらオカシイ(少子化を問題にするのが).日本の都会は元々良好な耕作地帯.②新大陸発見?「発見」は先住民を無視している.

  • 蛋白屋を集めてGene Technology.Recombinant human CRPなどなどお陰で今でも先生の遺産を食いつぶしています.


  • 病院にお見舞いに行ったとき,「もー来んでえーで.来る必要ないで」.私への最後のお言葉でした.涙.


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